京の公家日記から見た「本能寺の変」の実相。秀吉は京都をどのように改造したのか。天正少年遣欧使節が聚楽第の秀吉に謁見したシーンとは。
「藤戸石」とは、『源平の争乱で「源氏の勝利石」として尊崇され、倉敷から京都に運ばれ、信長が足利義昭将軍のために献上した。本能寺の変後、「藤戸石」 は天下人・秀吉の聚楽第に運ばれ後陽成天皇の行幸で天覧に預かった。しかしその後、聚楽第は破却され、「藤戸石」は醍醐寺三宝院の庭に運ばれた(本文よ り)』という石です。
その「藤戸石」をキーワードに、歴史の真相と謎をさぐります
京の公家日記から見た「本能寺の変」の実相。
秀吉は京都をどのように改造したのか。
天正少年遣欧使節が聚楽第の秀吉に謁見したシーンとは。
方広寺大仏殿になぜ善光寺如来が?
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・木食応其・古田織部・狩野永徳・長谷川等伯などの人物も深く描く・・・
本の口絵には、上越市立総合博物館提供による、「『秀吉御所参内・聚楽第行幸図屏風』左右隻」を掲載しております。
歴史好きでなくとも手にとってみたくなる一冊です。