九十歳を過ぎ、すっかり引退すべきときがきたと思い幾つかの雑篇をとり纏め小さな書物とし、それを親しくしている諸君に 送ったところ返書がたくさん来た…
九十歳を過ぎ、すっかり引退すべきときがきたと思い幾つかの 雑篇をとり纏め小さな書物とし、それを親しくしている諸君に 送ったところ返書がたくさん来たが、その中に「書きたいだけ書き、 言いたいだけ言いしてきた君のこと、もう何も残りはないはずだ。これからは静かに余生をおくれ」というものがあった。
九十歳を過ぎ、すっかり引退すべきときがきたと思い、幾つかの 雑篇をとり纏め、小さな書物とし、それを親しくしている諸君に 送ったところ、返書がたくさん来たが、その中に「書きたいだけ書き、 言いたいだけ言いしてきた君のこと、もう何も残りはないはずだ。 これからは静かに余生をおくれ」というものがあった。
それは、はっきり言うと川野重任君(東大名誉教授)である。それを聞き私は「なるほど」と思った。 考えてみれば、二十五巻に上る私の著作集は、まさに「書きたいだけ 書き、言いたいだけ言い尽くしたもの」、これ以上、いったい何を 書こうと言うのか言おうというのか、もう残りの命数はそんなにないはずである。
もっとも、体力的には、すでに限界を超えており、その理屈は、 それとして通っているが、しかし「何もしないで」というと、 いままで「考え、言い、書き」することを自分の生涯のしごとと してきたものが、それをやめるということは、生活のリズムからしても、出きるはずのものではない。
そこでまた僅かな力をふりしぼって、「身辺雑論」、あるいは 「身辺語録」を出すことにした。 それは当然に、ささやかな『身の上ばなし』からはじめるほかが なかった。 この姿をじっと見ていた家内は、これがもっとも「あなたらしくて 良い」とほめてくれた。
この小著は、そんなことで、名付けて「残照」とした。 字書をくってみると、「残照」というのは「夕暮れの薄明かりに 照らし出される」光景のことらしい。 とすれば、この書物の名にふさわしい、といってもよかろうか。
ご一読賜るを得ば、光栄である。
(はしがきより)