ブログ|京都 下鴨 洛北の出版社「自費出版の北斗書房」

2016年7月

名文とは? ―文章を書く心がまえ―

上手な文章が書きたいとは、誰しも思うものです。

スッキリした切り口で味のあるエッセイ。
思わず「なるほど!」と呻ってしまう学術書。
あたかもその場に居るような錯覚を覚えるルポタージュ。

このように、上手な文書にも色々ありますが、共通していえることは「解りやすい」文章であることでしょう。
一度読めば内容がすんなり頭に入る、そんな文章は間違いなく上手な文章といえます。

残念ながら、文章の高尚さと書かれた内容の高尚さには、何の関係性もないのです。

これらのことは、多くの文章講座やテキストで述べられていることです。
逆にいえば、それだけ解りにくい文章が多いのかもしれません。
ではなぜ、解りにくい文章を書いてしまうのでしょうか。

キーボードや原稿用紙に向かったとき「自分も後世に名文を残せるかも」と、つい妄想してしまう……程度の差はあれ、そんな妄想を抱いた人は少なくないと思います。

自分の著作を読み手に高く評価してもらいたい。
自費出版に限らず、何かを執筆する際、誰しもこう考えるのではないでしょうか。
この欲求は否定できません、それは人間の持つ自然な欲求といえるからです。

ただし、これは文章の中身に関わることであって、表現方法やテクニックで、自分の文章があたかも名文であるかのように見せようとすると、たいていの場合は逆効果になります。

よくある例としては、難しい言葉や漢字を多用し、ひねった言い回しを多用することです。
この様な文章は、文章で伝えたいことが散漫になり、その結果解りにくい文章になってしまいます。

あるいは、ひとつの文章に色々な内容を詰め込みすぎると、主題が解りにくくなり、やはり解りづらい文章になります。

名文かどうかは読み手が決めるものだと思います。
時間と多くの読み手を経て、結果的に名文として今に残っているのです。
現在に残る名文も、恐らくそれを書いた本人にそんな積もりは無かったことでしょう。

これから文章を残す私たちは「名文」ではなく、分かりやすく伝わりやすい「良文」を意識して執筆する方が、結果的に良い文章になるのではないでしょうか。

「ミニ自分史」のすすめ

「自身の半生を振り返ってまとめあげた半生記」自分史という言葉から、このようなイメージを連想される方も多いでしょう。
確かに自分史は、出生、両親のこと、学生時代、就職、結婚…といった具合に、半生を時系列で綴る(編年体)ものが代表的です。

その一方で、人生の一部分を切り出して綴る自分史もあります。旅行記、体験記、闘病記、クラブやサークルの活動記録などがこれにあたります。
この様な自分史を、北斗書房では「ミニ自分史」と呼んでいます。

ミニ自分史にはあまり制約はありません。
例えば旅行記の場合、現地に数年間滞在した手記などをイメージしますが、これが数日の小旅行であっても、そこで心に残るエピソードがあれば、それは充分ミニ自分史に取り上げる題材になります。

ここはひとつ、あまり肩肘張らず「その時の思い出をまとめてみようか」位の気持ちで取り組まれるのが良いでしょう。
何百ページもの大作にする必要はありません、スケッチや写真も交えながら、20ページ程度の小冊子にまとめても良いのです。

そんなミニ自分史が、何本か書き溜められたら、その時に改めて半生を綴る自分史としてまとめてみるのも良いかもしれません。

北斗書房では、そんなミニ自分史のアドバイスも承っております。
どうぞお気軽にご相談ください。

『北斗書房だより』最新号完成しました

弊社が発行しておりますニュースレター『北斗書房だより』の最新号(vol.16 No.3)が完成しました。

巻頭コラム「洛中徒然」では、京の夏の風物詩「祇園祭」を取り上げました、祇園祭にまつわる意外な歴史をご紹介しています。

その他にも、自費出版にまつわるコラムや弊社の作品を紹介しております。

『北斗書房だより』最新号は、弊社店頭のほか、京都市内の以下の施設で無料配布しております。 

  • 京都社会福祉会館
  • 京都府立文化芸術会館
  • 京都市北文化会館
  • 京都生協 コープ下鴨
  • 京都府立府民ホール アルティ
  • 京都教育文化センター
  •  京都市勧業館 みやこめっせ

近くにお立ち寄りの節は、ぜひ手に取ってご覧ください。

【洛中徒然(2)】祇園祭 ~雪降るなかの山鉾巡行~

 7月に入ると、京都の鉾町界隈では祇園囃が聞こえだします。京の夏もいよいよ本番を迎え、何となく心が浮き立つものです。

 祇園祭は7月1日の「長刀鉾町お千度」に始まり、7月31日の疫神社夏越祭まで、実に1ヶ月におよぶ長い祭事です。この時期新聞では、連日のように「宵山に何十万人の人出」というニュースが流れ、京の町も大変なにぎわいをみせます。

 夏の風物詩といえるこの山鉾巡行、実は秋や冬に執り行われたことがあるのはご存知でしょうか。

 文献によると、室町時代のある時期に10回ほど、冬に行われたと記されています。天文元年の巡行では、何と雪の舞う中を神輿が祗園社から御旅所へ渡ったそうです。

 山鉾巡行は、神輿渡御(みこしとぎょ)の露払いとして、都大路を祓い清める祭礼と位置づけられています。多くの神事をつつがなく執り行うため、現在の山鉾巡行は17日と24日に定められています。「小雨決行・大雨強行」という言葉がある位で、記録が残る限りにおいては天候が荒天で中止された例はないとのことです。

 記憶に新しいところですと、昨年(2015年)の巡行は、大型台風接近という状況にもかかわらず、激しい雨のなか山鉾巡行を実施されました。伝統ある祇園祭を継承し後世に伝えようとする、町衆の心意気と熱意が感じられます。

 再三の中断と再興を重ねながら京都の歴史・伝統とともに歩んできた祇園祭。こうした歴史的な背景に思いを馳せてみられてはいかがでしょうか。

【洛中徒然(1)】埒(らち)が明(あ)く ~上賀茂神社と神馬~

 上賀茂神社には「神山号」という名の神馬がいます。二の鳥居前の神馬舎では、日曜・祝日に白い優雅な姿を見せてくれています。

 現在、生きた神馬のいる神社が全国的に減る傾向にありますが、そのなかでも白い馬は珍しいそうです。

 神馬とは、神様の乗用に供するために神社に奉納した馬のことで、正しくは「じんめ」と読みます。雨乞いの時は黒毛、晴れを祈願する時は赤毛という具合に、祈願の目的によって奉納される神馬の毛色が使い分けられていました。この神馬が、時代が下がるにつれ絵馬の風習に変わっていったのです。

 5月5日に催される競馬会(くらべうまえ)は「徒然草」にも出ている古い行事です。参道の馬場を二頭宛で走る競技で、馬と観客を隔てる柵は埒と呼ばれており、これが「埒が明く」という言葉の語源になったという説があります。競馬会では騎手と馬の呼吸が合うまで埒を開けないことに由来するそうです。

 日常で用いられる言葉が、意外なところに由来することがままあります。日本語の面白さは、こんなところにもあるのかもしれませんね。